九代将軍の乳母 33 富丸編

文明十三年(1481)が明けた。その六日、朝の間に義尚に挨拶して御機嫌を伺い、昼間は御政道の事で忙しかろうと、小御所で新御台の無聊を慰めていた。義尚の心を落ち着かせるためには夫婦和合が一番だ。新御台の幼い時の話を聞き、若君の話をする。いい夫だと思わせなければならない。今は義尚も珍しさもあって、しげしげと通って来るようである。脇坂の家のように夫婦が一つの家一つの部屋で暮らせば、もっと仲良くなれるのにと残念に思う。私の家の事を話す折りに、夫のために直垂を仕立てる話をすると、新御台は興味を持った。一度やって見ようと言い出す。これ幸いと一緒に縫い物を始めていた。一通りの事は習っているが、あまり好きではないようだ。私も好きでやっていたのではない。働かなければ子供達が飢えるのだった。そんな事は新御台には言わない。夫のために縫う楽しさだけを教える。出来上がった時の隼人の喜びは言わなかった。義尚はそれ程喜ばず、当然と思うだろう。そうなったら却って夫婦不和の原因になる。
 新御台はおぼつかない手付きで針を運んでいる。侍女達も取りとめのない話をしたり、一緒に縫ったりしていた。
「御所様に、盗人が入ったのですって」
 同輩が縫い物をするのをぼんやり眺めていた若い侍女が言い出した。新御台の針の動きを見ながら自分も縫っていた侍女が顔を上げる。
「ええ、聞いたわ。犯人は賀茂の男だったのですって」
「じゃ! 盗られた物は返ったの?」
「お天子様に戴いた太刀を盗まれたのよ。でも、御近習の脇坂様が取り戻されたそうよ」
 脇坂とは勝彦の事だ。ふと暮れに勝彦と光雄が言い争っていた事を思い出した。
 勝彦は紙片を光雄に見せ、何かを返せと言っていた。光雄はこれまで見た事もない程怒りに震えていた。
『征夷大将軍ともあろうお方が、ひどい事をなさる! 馬借共の乱暴狼藉に負けて徳政令を出すのは仕方ないが、それで、御自分の借金まで棒引きなさるとは』
 夏頃から馬追い達が騒いで火付け騒動になったので、関銭が廃止になった。はつはそれなのに物の値段が下がらないと怒っていた。徳政令まで出されたのは光雄のその言葉で始めて知った。我が家は誰も借金等していないと私は無関心で、聞き流していた。
が、更にそれより以前の事。春に勝彦が義尚の刀を研ぎに出すと言って光雄に預けていたが、もしかしたら、あれは刀を抵当に金を借りていたのか? そう言えば私が部屋に入った時の二人の慌て振りはおかしかった。なぜ義尚は大事な恩賜の太刀を抵当に銭を借りたのだろう? あれは新御台輿入れの前だった。
「あの、ここは……」
 新御台がためらいながら、袴の股刳りの縫い方を尋ねていた。はっとして急いで説明したが、頭の中では他の事を考えていた。
 義尚、天下の征夷大将軍が婚礼の費用が無く、武士の魂たる刀を質入れする。そして貧しい者のための徳政令を出して、自分もそれに乗じて刀を取り返す。徳政令を出す事に富子は反対していた。富子は貸している方だ。義尚は借りている方。二人が度々争うのも当然。私は溜息をついた。
「あら、あの物静かな足音は富丸殿ではありませんか?」
 若い侍女が嬉しそうな声を出して上臈に睨まれた。
 侍女の言葉通り、富丸が庇の間に正座して両手をついた。今度も何か義尚がやらかしたかと、一瞬私の顔が引きつった。
「母様」
 白い童水干の富丸は緊張した顔をしているが、この前のように取り乱してはいない。
「富丸、どうしやったえ? また御所様が何ぞやらかされたのですか?」
 富丸は首を振った。
「大御所様が髻をお切りなさいました」
「まあまあ、去年は御所様がお切りになって、今度はお父君かえ?」
と、今度は私も駆け出したりはしない。
「大御台様といさかわれたそうでございます」
と、富丸はちらっと新御台の方を見た。世間では富子を御台様と呼ぶが、新御台が主の小御所では姑を大御台様と呼ぶ。新御台は針を運ぶ手を止めて富丸を見ていた。静かに暮らすこの小御所では、たまに訪れる者は何かしらの情報をもたらすので歓迎される。富丸は侍女達にも好かれていた。皆注目している。
「大御台様は我がお強い。大人しく大御所様に従っておられれば仲睦まじく過ごせるものを」
 私は暗に新御台に教えるつもりで言った。
「大御台様が大人しく大御所様に従っておられれば、大御所様のお家は火の車でございますよ」
と、一人の侍女が笑った。
「でも、大御台様は大御所様には融通なさらないとか」
と、情報通らしい侍女が言った。
「きっと、また、その事なのですよね。でも、髻まで切るなんて」
と、侍女達は言い合って笑っている。新御台も笑いながら針を持つ手を動かし始めた。
 ふと今、新御台を見た富丸の目つきが気になった。新御台とも関係がある事か? 私は新御台の方を振り返って言った。
「何をいさかわれたのでございましょう。ちょっと尋ねて参りましょうか?」
「今から、小川御所に参られるのですか?」
 新御台は目を丸くした。新御台が動き回るのは室町御所の内でもこの小御所の中だけだ。夫の義尚が居る常御所にさえ行った事はない。義政夫妻の住む小川御所は室町御所の南門を出て、通りの向こうだ。そこへ出掛けるのさえ護衛の騎馬五騎徒二十名は従う。侍女も五名は輿で従い、彼等のための荷を運ぶ小者達も延々と続く。衣裳等をひと月前から用意しても、前日になって人数が揃わなくて中止になる事もある。それと言うのも、新御台の実家は権勢を振るった勝光が亡くなり、後を継いだ政資はまだ十歳と幼く、充分姉を援助できないのだ。富子がこの室町御所に来る時はもっと少人数で、さっと来る。警護の武士は選りすぐった者達ばかりで常に控えているらしい。その費えは馬鹿にならない。
 富丸が口を出した。
「母様がわざわざ出向かれる事はない、と存じます」
 そう言う富丸の新御台に対する目が変だ。新御台に知られたくない事ではないだろうか、と感じた。
「そうですね、夫婦喧嘩は犬も喰わぬといいますね。野暮は止めましょう」
 新御台は残念そうな顔をした。富丸は下がって行った。

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