九代将軍の乳母 29 富丸編
「そうですねえ。牛蒡を胡麻油で炒めたものなど、如何でしょうか? 生姜等をきざんで入れますと美味しく身体も温まります」
と、耀蔵の妻はつは庭に目をやりながら考えている。。
義尚と新御台(将軍の花嫁)とはうまくいっている。この間に早く子を上げておきたい、と言うと、はつが下々の風習を教えてくれた。
「早速、作ってみましょうかね。あなたもそろそろ二人目が欲しくないですか?」
はつはぱっと顔を赤らめた。おや、こんなに初々しい女だったのか、と意外だ。彼女の女の子は九つになる。もう次が出来てもいい頃だと思うがこればかりはどうにもならない。
「いやですわ、奥様。耀蔵はもう四十五ですよ。爺ですよ。それより奥様、今度は可愛いおひい様をお産み遊ばせ」
「そうですね。女の子が欲しいですね。あなたは男の子」
女二人が縁に腰を下ろして他愛無い話をしている初夏の朝、明るみかけた庭では隼人が子供達や小者、また勝彦の従者達にも、太刀の稽古をつけてやっている。勝彦の太刀さばきはなかなか鋭くなって、隼人の手に負えない。隼人ももう三十八歳だ。動きが鈍くなってきている。光雄は武士になる気はないが、荷物や自分達を護るために熱心に稽古する。富丸もあの日、燃えさかる街中を老女と逃げ惑った経験から武芸の嗜みの必要を痛感している。訳が分からず練習していたのがあの時役に立ったと言う。
「牛蒡と胡麻は光雄坊ちゃんにお願いしましょう」
と、はつは話を逸らす。
「牛蒡を洗って笹がきにして水に晒すまでは小女達にやらせましょう。牛蒡のあくが手に付きますと御所に上がれませんから。胡麻を摺って油を絞るのは力仕事ですから男衆にやってもらいます。油に絞ったのも売りに参りますが、こちらで絞った方が心が籠もりますからね。炒めるのは、油がお召し物にしみこむと大変ですからわたくしがしますわ」
「おや、すると私は何をすればいいのです?」
「奥様には生姜をきざんで戴きましょうかね」
それでは私が作ったとは言えないではないか、と思うが、はつは断固とした口調で言う。
数日後、味付けの段階で手伝わせて貰った牛蒡の胡麻炒めを赤い塗りの蓋付き容器にたっぷり入れて侍女に持たせ、私は小御所に向った。将軍の所に行く時は必ず、新御台の居る小御所にも御機嫌伺いに顔を出す。義尚はかなりしげしげと通っているようで、ひとまずは安心である。
富丸が稚児姿で同道していた。将軍に挨拶すると、早速義尚は富丸を小姓のつもりで何かと用を言いつける。富丸は嫌がらない。兄の手助けになると考えている。それらの用は以前は勝彦の仕事だった。この頃、勝彦は将軍の傍に居る事は殆ど無い。各部署を飛び回っている。京の街中だけでなく、二、三日かけて奈良や近江にも出掛ける。
新御台は部屋の奥にいた。縁先は風が当たるからと嫌がる。五月と言えばもう夏だ。涼しい風に当たった方が気持ちいいのに、深窓のお姫様は日差しが怖いらしい。
私が持参の牛蒡の胡麻炒めを夫婦が仲良く出来る食べ物だと勧めると、興味を持った。
「夕べはお成りではなかった(来なかった)」
と、つまらなそうに言う。
「お忙しいのでございましょう。それでは、きっと今夜はいらっしゃいます。ご一緒に召し上がれ」
新御台が侍女に言いつけて片付けようとするので、私は、
「一応、わたくしがお毒味をしておきます。御台様は御所様にお勧めになるお食事には十分お気を付け下さいますよう、お願いいたします」
「乳母殿のお作りになられた物ならば、大丈夫であろうに」
新御台が言ったが、日野家から来た侍女はさっさと小さな器に入れて、私の前に運んだ。侍女は新御台の父勝光の死が毒殺ではないかという噂を聞いているのだ。
私が美味しそうに毒味しているのを見て、新御台は食欲をそそられたらしい。
「御所様にお勧めする前に私も毒味をしてみましょう」
生姜の香りがこの暑さにも拘わらず、食欲をそそるのだろう。
「御台様。そんなに召し上がると、御所様の分が無くなります。御所様にも召し上がって戴かないと、夫婦和合にはなりません」
と、侍女達が注意している。私は思わず笑い声を上げた。侍女達も釣られて笑った。
「暑さのせいで、また夕べはお成りでなかったので、御台様は朝からあまり召し上がっておられなかったのですよ」
年嵩の侍女が言った。婚礼の日、松の小袖を着ていた侍女である。
「なんか、元気が出て来たみたい」
名残惜しそうに箸を置きながら、新御台は言った。
と、耀蔵の妻はつは庭に目をやりながら考えている。。
義尚と新御台(将軍の花嫁)とはうまくいっている。この間に早く子を上げておきたい、と言うと、はつが下々の風習を教えてくれた。
「早速、作ってみましょうかね。あなたもそろそろ二人目が欲しくないですか?」
はつはぱっと顔を赤らめた。おや、こんなに初々しい女だったのか、と意外だ。彼女の女の子は九つになる。もう次が出来てもいい頃だと思うがこればかりはどうにもならない。
「いやですわ、奥様。耀蔵はもう四十五ですよ。爺ですよ。それより奥様、今度は可愛いおひい様をお産み遊ばせ」
「そうですね。女の子が欲しいですね。あなたは男の子」
女二人が縁に腰を下ろして他愛無い話をしている初夏の朝、明るみかけた庭では隼人が子供達や小者、また勝彦の従者達にも、太刀の稽古をつけてやっている。勝彦の太刀さばきはなかなか鋭くなって、隼人の手に負えない。隼人ももう三十八歳だ。動きが鈍くなってきている。光雄は武士になる気はないが、荷物や自分達を護るために熱心に稽古する。富丸もあの日、燃えさかる街中を老女と逃げ惑った経験から武芸の嗜みの必要を痛感している。訳が分からず練習していたのがあの時役に立ったと言う。
「牛蒡と胡麻は光雄坊ちゃんにお願いしましょう」
と、はつは話を逸らす。
「牛蒡を洗って笹がきにして水に晒すまでは小女達にやらせましょう。牛蒡のあくが手に付きますと御所に上がれませんから。胡麻を摺って油を絞るのは力仕事ですから男衆にやってもらいます。油に絞ったのも売りに参りますが、こちらで絞った方が心が籠もりますからね。炒めるのは、油がお召し物にしみこむと大変ですからわたくしがしますわ」
「おや、すると私は何をすればいいのです?」
「奥様には生姜をきざんで戴きましょうかね」
それでは私が作ったとは言えないではないか、と思うが、はつは断固とした口調で言う。
数日後、味付けの段階で手伝わせて貰った牛蒡の胡麻炒めを赤い塗りの蓋付き容器にたっぷり入れて侍女に持たせ、私は小御所に向った。将軍の所に行く時は必ず、新御台の居る小御所にも御機嫌伺いに顔を出す。義尚はかなりしげしげと通っているようで、ひとまずは安心である。
富丸が稚児姿で同道していた。将軍に挨拶すると、早速義尚は富丸を小姓のつもりで何かと用を言いつける。富丸は嫌がらない。兄の手助けになると考えている。それらの用は以前は勝彦の仕事だった。この頃、勝彦は将軍の傍に居る事は殆ど無い。各部署を飛び回っている。京の街中だけでなく、二、三日かけて奈良や近江にも出掛ける。
新御台は部屋の奥にいた。縁先は風が当たるからと嫌がる。五月と言えばもう夏だ。涼しい風に当たった方が気持ちいいのに、深窓のお姫様は日差しが怖いらしい。
私が持参の牛蒡の胡麻炒めを夫婦が仲良く出来る食べ物だと勧めると、興味を持った。
「夕べはお成りではなかった(来なかった)」
と、つまらなそうに言う。
「お忙しいのでございましょう。それでは、きっと今夜はいらっしゃいます。ご一緒に召し上がれ」
新御台が侍女に言いつけて片付けようとするので、私は、
「一応、わたくしがお毒味をしておきます。御台様は御所様にお勧めになるお食事には十分お気を付け下さいますよう、お願いいたします」
「乳母殿のお作りになられた物ならば、大丈夫であろうに」
新御台が言ったが、日野家から来た侍女はさっさと小さな器に入れて、私の前に運んだ。侍女は新御台の父勝光の死が毒殺ではないかという噂を聞いているのだ。
私が美味しそうに毒味しているのを見て、新御台は食欲をそそられたらしい。
「御所様にお勧めする前に私も毒味をしてみましょう」
生姜の香りがこの暑さにも拘わらず、食欲をそそるのだろう。
「御台様。そんなに召し上がると、御所様の分が無くなります。御所様にも召し上がって戴かないと、夫婦和合にはなりません」
と、侍女達が注意している。私は思わず笑い声を上げた。侍女達も釣られて笑った。
「暑さのせいで、また夕べはお成りでなかったので、御台様は朝からあまり召し上がっておられなかったのですよ」
年嵩の侍女が言った。婚礼の日、松の小袖を着ていた侍女である。
「なんか、元気が出て来たみたい」
名残惜しそうに箸を置きながら、新御台は言った。
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