九代将軍の乳母 28 富丸編

 同年二月に義尚は結婚した。新御台の輿入れは富子の時より豪華で晴れやかだった。私は富子の輿入れの行列に憧れて走り出した事を思い出す。この日の私は待女臈の役目を貰い白い小袖を着て、玄関で手燭を持って控えて居た。
 篝火が庭のあちこちで燃えている。嫁入りの輿は生家の篝火に送り出されるしきたりだから、富子の輿入れの時も夕方だった筈なのに、なぜか私の記憶には昼間だ。富子の事だから夜の門出を嫌ったのだろうか? それとも街中が篝火で昼のように明るかったのだろうか?
 遙か向こうの門の内側に二人の役人が居る。左の役人は右手右膝を突いて左手に松明を持つ。右の役人は左手左膝を突き右手に松明を持つ。役人の姿は見えずその二つの灯りだけが篝火の光の外に浮かんでいる。微かなざわめきが近づいて来たと感じられ、二つの灯りが一つに合わさった。輿入れの行列が門を通過したのだ。私の傍らに同じように控えている白い素襖の役人が身じろぎした。私もそっと深い息を吐き出した。
 門を入ってからはお道具の列を追い越して花嫁の輿が進み出て、御貝桶の後に続く。先頭には十徳(羽織に似た上着)に四幅袴、白い帯をつけた人足が二人、それぞれ亀甲形の貝桶を担いでいる。桶の中には蛤が、金箔・松竹鶴亀の彩色を施されて、三百六十個、蓋と身を別々にされて入っている。蛤の蓋は他の貝とは合わないので夫婦和合、貞女のまじないとされている。
 こちらの二人の役人がまず進み出た。行列に付いていた役人が人足の背から貝桶を取り、こちらの役人に渡した。
 日野家の家宰が白い狩衣姿で花嫁を乗せた輿の長柄を両手で支える仕草をしながら、こちらに控えていた伊勢兵庫助を見た。兵庫助は右側に畏まっていたが、日野家の家宰の視線を感じ、後ろに控える人足達と共に立ち上がった。彼が輿の長柄を両手で支える仕草をすると、こちらの人足が代わって輿を担いだ。それを合図に、こちらの人足達が次々と行列の道具や供の女達の輿を代わって担ぐ。役目を終えた日野家の者達は脇に下がった。
 輿は玄関を入った。それまで妻戸は大きく開かれていたが、輿の長柄が通る時、扉は半ば閉じ長柄を挟み込んだ。戸が閉じられて花嫁はもう帰る事が出来なくなった……筈。
 私達は奥に進む輿に付き従った。花嫁の輿は三の間、二の間と入って行った。その座敷の畳の上にやっと輿は下ろされた。
 花嫁花婿は婚礼の席で初めて顔を合わせるというのが珍しい事ではない上流武家社会の習慣だか、富子は従兄妹同志の事でもあるので、幼い時から一緒に遊ばせていた。早くから馴染ませておきたかったのだ。従って輿から現れた花嫁は私も顔馴染みだ。流石に緊張した顔をしている。待女臈の私は花嫁に白の練絹に金と紅の菱を浮き織りした小袖の両袖を頭の上に重ねて、化粧の間に導いた。花嫁に従って来た侍女が衣裳や化粧道具を捧げ持って続く。
 花嫁が化粧の間で休憩している間に、私は花嫁の侍女達と婚儀が行われる座敷に向った。彼女達は座敷の床に蓬莱の台、栗・熨斗鮑・昆布を盛った二重の台と銚子、提子、折り紙の雄蝶雌蝶を付けた瓶子二本(いずれも酒を注ぐ器)を飾り、更にその前に向き合った雌雄の雉と腹を合わせた二匹の鯉を並べた。それらが粗相なく飾られたのを確かめると、花婿の部屋に向かう。勿論その時には義尚は既に花嫁到着の報告を受けており、斎戒沐浴衣裳を改め静かに待機している筈である。が、私が戸の外から覗くと、衣服は着替えていたが、近習達と双六遊びに熱中していて、大きな笑い声が洩れている。私は思わず中に入った。
「失礼致します。間もなく婚儀の間にお成り遊ばす時刻でございます。厳粛になさいますよう」
 言わずもがなの事を口にし、戸の傍で正座し恭しく頭を下げると、近習達は慌てて双六を片付けた。ちらっと見たが、勝彦は居ないようである。義尚に腹を立てると同時にほっとした。
 その足で花嫁の控える化粧の間に引き返す。その頃には花嫁も侍女達に助けられて衣裳を替え、化粧の手直しも済ませて、行列の疲れを癒していた。こちらは緊張して目が吊り上がっている。二、三度、神社参詣のおりに義尚と一緒になった事がある。富子は何かと機会を作って若い二人を逢わせるようにしていた。その時には可憐なお姫様で、将軍にも甘えて我が儘を言い、にこにこと笑っていた童女の衵姿が可愛かった。
 緋袴を穿き五つ衣に白綾に菱を浮き織りした表着、白の同じ菱模様の裳、唐衣を着けて、錦の袋に入った護符を胸に掛け、艶やかな牡丹に鳳凰の舞う檜扇を開いて持つ花嫁を婚儀の間に請じ入れ、主人の座に座らせ、被衣代わりに頭を覆う小袖の袖と、裳の上に流れる髪を直してやると私はその隣に座った。座り込むとほっとして溜息が出そうになったが、気を引き締めた。これからだ。
 やがて花婿が白直垂に立烏帽子で入って来て、客の座に座った。流石に取り澄ました顔をしているのが反って奇妙に可笑しい。部屋の中には私達三人の他には、御用を勤める数名の侍女が居るきりだ。花嫁が舅姑と顔を合わせ挨拶するのは三日目である。侍女達はそれぞれ松・竹・鶴・亀等の刺繍を施した白い小袖を着て、花嫁程ではない髪を長く背に垂らしている。全て花嫁に従って日野家から来た者達だ。
 私は立ち上がると、花嫁の胸から赤と緑の組紐を付けられたお守りを外し、夫婦愛敬を願って恭しく額に戴いて一礼し、花婿義尚に手渡した。義尚は手に取って同じように一礼すると私に戻した。本心から頭を下げたのであろうか、と私はふと心許なく思った。それを床の左の柱の折れ釘に掛けて座に戻ると、二人にお祝いの言葉を言上した。
 二人とも厳粛な面持ちで聞いている。さっきまで双六に興じていた義尚、参詣時の天真爛漫な少女を知る身には、傷ましく思える程だ。
 竹の小袖の侍女が床に飾られていた台を運んで来て、二人に熨斗鮑を進め、待女臈の私の前にも置いた。二人が鮑に箸を付けるのを見ながら、私も口に入れた。
 亀の小袖の侍女が長柄の付いた銚子から吊り手の付いた提子に酒を移し、鶴の侍女が提子から雄蝶雌蝶を付けた瓶子に注ぎ入れた。その後、彼女達は三盃を載せた台と式三献の膳を二人と私の前に運んだ。
 松の小袖を着た侍女が進み出ると、まず花嫁に盃を取らせ瓶子から酒を注いだ。花嫁が飲み終わってと言うより僅かに口を湿らせて盃を置くと、今度は義尚に盃を取らせた。次は待女臈の私の所に回ってくる。少しでも呑んで後で粗相するといけないので、私は盃を受けながら、そっと侍女の目を見た。その視線の合図を松の侍女は心得て、注ぐ真似だけをしてくれた。流石に日野家ではちゃんと躾けられた女を寄越している。最後に花嫁に盃が戻り、三盃の儀は終った。一度しか呑めなかった義尚は憮然としている。不満そうなその顔に危うく吹き出す所だった。
 やがて饗膳が出された。義尚はさっさと箸を付ける。十五歳の若者だ。さっき食べたとしても食欲はあるだろう。花嫁はもじもじと侍女の方を見ながら、手を出しかねている。松の小袖の侍女が傍ににじり寄って囁くのが聞こえた。
「ひい様。お好きな鮎は明日お出しします。鮎は一年で帰る魚ですから、こんなお席には出せないのです」
”まあまあ、可哀想に。好物の鮎を楽しみにしていたのであろうか”
 私はそっと子供っぽい花嫁を盗み見た。
 食事が終ると私は再び花嫁を化粧の間に導いた。花婿が付いて来る。帰れと言う訳にもいかず侍女達は困って顔を見合わせている。私はそんな義尚の態度が微笑ましかった。化粧の間には花嫁道具が置かれている。義尚はその道具を眺め回し黒塗りの厨子を見ると、花嫁に言った。
「これを寝所に飾ろうではないか?」
 花嫁は仕方なさそうに頷く。侍女達は花嫁のその仕草で厨子を寝所に運んだ。
「これだけでよい。たくさんあると煩わしい」
 義尚がやっと去ってくれると、侍女達は花嫁に白い寝間着に着替えさせて退出した。松の侍女も、
「よしなに、お頼み申します」
と、心残りそうに私に頭を下げて出て行った。花嫁は泣きそうな顔で松の侍女を見送っている。今まで彼女を守っていた者達は全て去って行った。
 私は花嫁を寝所に導き、南に二つの木の箱枕が置かれた筵の左に花嫁を座らせた。(筵と言っても今の藁筵と違って)藺草で織られた筵には高麗縁が付き生絹で裏打ちがしてある。中に真綿が入っていて柔らかく感じる。小袖より少し大きめの御衣が二重ね足元に置かれているのは、これを引き被って眠るのである。
 花嫁は不安そうに私を見ている。私は枕元に置かれた足付きのお敷きの上を確かめ、花嫁の方に向いて、微笑んだ。
「ひい様はこれまで多くの者にかしずかれ大事にされて来られました。ご自分では思わずとも我が儘をおっしゃっておいででしたが、侍女共は耐えてあなた様にお仕え致しておりました。今日からはあなた様が御所様にお仕え致すのでございます。ひい様のお言葉を侍女共が違える事がございませんでしたように、あなた様も御所様のお言葉には耐えて違える事のございませぬよう、お願い致します」
 私は両手を突いて話した。花嫁はそんな事はちゃんと聞いて来たと言う顔である。それでも私は言わなければならない。
「御所様は天下の平和のために一日も早くお世継ぎを上げねばなりません。しかしこれは御仏だけが知る事、万一に備えて、他の女子が御所様のお子を産むかも知れませぬが、あなた様のお子様だけがお世継ぎでございます。お心丈夫になされお二人仲睦まじくいらせられますようお願い致します」
 花嫁は心許なげに頷いた。見計らったように、白い寝間着の義尚が入って来て花嫁の右に座った。私は先程確かめておいたお敷きから盃を取り上げ、義尚に渡した。義尚はそれを花嫁に渡し、私の差し出す瓶子から酒を注ぎ、言った。
「不調法者じゃが、よしなに頼む」
 花嫁は一瞬戸惑ったように私をちらっと見、私が手を下にやると、盃を膝の前に置き、両手をつかえた。
「わたくしこそふつつか者でございます。よろしくお頼み申します」
 そして、私の方を横目で見ながら、私の仕草を真似て盃を取り、飲み干した。
”あらあら、一遍に呑んでしまって、大丈夫かしら”
 花嫁は緊張の極みにあるようだ。顔がみるみる赤くなっている。次どうするべきか、思いつかないらしい。
「御台様、お杯を御所様に」
 私は静かに言った。花嫁は慌てて盃を義尚に押し付けた。私は花嫁の手に瓶子を押し付けるように渡した。花嫁は震える手で酒を注ぐ。右手で盃を持っていた義尚が左手をつと伸ばしてその震える手に触れた。花嫁は動顛し、酒は筵の上に注がれてしまった。私は素早く瓶子を支え、小袖の袖でこぼれた酒を拭き取った。ちらっと義尚の顔を見ると可笑しそうに笑っている。花嫁は泣きそうな顔をした。
「花嫁様をおいたわり遊ばせ」
 私は小声で言った。
「いや、許せ。あまりかわゆかったので、つい手が出たのだ」
 私は元の座に戻ると、花嫁にうちとけた口調で言った。
「いたずら者の御所様を許して上げてくださいね。あなた様より子供なのです。弟と思って堪忍なされてくだされませ。さ、もう一度、御所様にささ(酒)を」
 花嫁は瓶子を取り直すと、ほんの少し酒を注いだ。
”ま、いじわるしている”
 それで、平常の心に戻ったらしい。私は瓶子と杯の戻ったお敷きを捧げて寝所から退出した。義尚は名残惜しそうにまだ残っている瓶子を見送っている。
 襖一つ隔てた部屋には薄縁が敷かれている。私はそこに横になり小袖を被った。
 花嫁はまだ怒っているらしい。しきりに宥める義尚の声がする。いい加減に許してやってくれないと、我が儘な義尚だ、どうなるかわからない。やがて静かになった。気が進まないがそっと起き上がって、二人を確かめた。
 どうやら、第一夜は無事に終りそうだ。ほっとして寝床に戻ったが、寝入るわけにはいかない。

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